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言葉は細胞

6/19(金) カフェムリウイでときわ音楽会を開催します。私にとっても久しぶりのライブとなります。新美さんの穏やかなギターとともに歌いますよ。キーボードで弾き語りも数曲織り交ぜてお送りします。ライブ形態についてはスケジュールの方に記しました。客席が限られてきますので、ご予約制とさせてもらいますね。よろしくお願いします。

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先日ラジオを聞いていたら、京大総長で霊長類学者の山極寿一さんが話しておられて、スマホを持っていない、と。番組パーソナリティの山瀬まみさんも「仲間だ!」と言っていたのでへぇ〜とびっくりして、私も「仲間!」でちょっと嬉しかったです。笑

SNSはパソコンで見ています。以前電車で、前に立っていた人が、スマホでフェースブックやインスタ、ツイッターを親指でものすごいスピードで見て回り、いろんな人への「いいね!」をぱぱぱっと0コンマ秒くらいの速さで押し続けているのがどうしても目に入ってしまって、中身を読んでいるのかなあ、と疑問になってしまいました。私の1投稿に何十分も費やしているのも一瞬で読み飛ばされているんだろうな・・・と思うとちょっとやりきれなくなるし、でも私自身もそういうことはやってしまってる。情報処理に追われて、言葉を味わえなくなってしまうのが怖い。

・・・そんな中でも、この引きこもり期間中に手紙をくれる友達もいて、そのぬくもりがありがたかったです。さいきん誹謗中傷が問題となっていますが、本来言葉は人を傷つけるためにあるものじゃないし、言葉は人を表すと言われる。普段使う言葉は私たち自身を形作る細胞のようなものだそう。自分の体にとり入れるものと吐き出すもの、その来し方行く末を想像できるくらいの余裕があればいいな。あ!食べる物も同じだなぁ。

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公園を散歩するといろんな野鳥のさえずりに包まれます。上の鳥さんたちは第二次大戦後、アメリカで収容されていた日本人捕虜たちが作った工芸品の写真集「The Art of Gaman」より。

 

2020-05-31 | Posted in ... Blog ...Comments Closed 

 

ひきこもりながら

近況報告。ええ。こもっています(笑)
・・・とは言いましても今年に入ってから引越をしまして、畑と用水路と遊歩道がどこまでも続く地域に移ったので「散歩散歩散歩」の日々です。

国には「検査検査検査」をぜひお願いします。そのための税金ですから!

このブログを母のお友達も覗いて下さっているみたいで、先月の母の誕生日を本人よりも覚えていて下さる方々から連絡やお花などもいただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

母は元気にデイサービスに通っております。たまに「あれ?お父さんは帰ってくるんだっけ?」と言っておりますが(^^;)。

引越に伴ってデイも新しい所に移り、そちらもすぐに慣れて楽しく過ごしているようです。ケアマネさんにこれまでの母の経歴を話したら、

「介護職についておられた方を介護する時代が来るのだろうと思っていたけど…木下さんは私にとって第一号ですね!」と先輩として接してくれてありがたいやらもったいないやら…

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私はこのところ家でドリヴァル・カイミを歌うのが心地いいです。とくにゆったりした曲にやっぱり惹かれます。

Saudade de Itapõa、Só louco、É doce morrer no mar、Quem vem pra beira do mar…いいですよね。大きな海と空のように気持ちが開けていくようです。

この間見た徹子の部屋のゲストが昨年の脳梗塞から復帰された美輪明宏さんで、相変わらず素敵な会話とともに昔の映像「赤とんぼ」の歌を流していました。

美輪さんによると「明治や大正のころは今よりもっと悠長に時間が流れていた」ので、赤とんぼもゆ〜ったりとしたテンポで歌っていました。

これが本当に美しかったのです。ああ、こういう歌だったんだ、とはっとしました。

経済、経済で突き進む世の中に、今ブレーキをかけられているような気がしてなりません。本当に大切なものは?お互いを思いやる気持ち。助け合う気持ち。世界のニュースを見ていてもそう感じます。

どうぞみなさんもご用心、ご自愛下さい。

 

2020-04-05 | Posted in ... Blog ...Comments Closed 

 

父のこと

10月末に父が他界しました。
80歳を迎えたばかりでした。

この夏に受けた健康診断で胃がんが見つかり
手術して取っちゃいましょうということで9月半ばに入院。
手術自体は上手くいって
順調に回復に向かっていたところ容体が急変。
お医者さんたちも想定外の事態に
あらゆる手を尽くしてくださり
本人は危篤に陥ってからもそれこそ長い時間
命の灯を保つべくがんばっていましたが
家族が見守る中、ろうそくの火が消えるように
朝方静かに息をひきとりました。
その日は一日曇り空で、病院の窓から外を見ると
つばめの大群が、南へ渡っていく途中なのか
空を舞っていました。

父は若い頃は米軍キャンプからはじまって
ダンスホール華やかなりし時代に
サックス奏者としてビッグバンドに所属。
その後は30年ほど、芸能プロダクションや
お笑い事務所(テレビのお笑いタレント
ではなくて、昔ながらの寄席に出ている
芸人さんたち。こういう方達がまた素敵なんです)
などで裏方業をしていました。
その仕事を離れてからは再び楽器を手に取り、
地域のビッグバンドや吹奏楽クラブで
けっこう忙しく活動していました。

葬儀にはかつてのお仕事仲間や
家族ぐるみで仲良くしていた
芸人さんたちも駆けつけてくださり
懐かしさとともに、父の人生の山あり谷あり
悲喜こもごもに思いを馳せたのでした。
手術後の復帰を待っていた、現在のバンドの
お仲間たちは、父のあまりの突然の死を悼んでくれました。
「渋い、いい音色だった」
「まだまだたくさん教わりたかった」と
涙をはらはらと流してくださる女性も…。


式の合間にカウントベイシーを流して
終始あたたかい雰囲気につつまれて
にわか喪主、心からホッとしました。
夫と母のおかげもありました。
お父さん、いろいろあったけれど、こうして
惜しまれつつ見送ってもらえるのって
天晴なことだね。お葬式って、悲しむというよりは
お互い感謝をする場のことなんだね、と思いました。
父はもの静かな人だったので
父娘の会話もそれほど多くなく
直接何かを教わることはあまりなかったけれど
最後の最後で大きなことを教えてもらったような
気がしています。
 
お父さん、いつかまた、「モナリザ」
ソロで、聴かせてほしいな。

 

2019-11-14 | Posted in ... Blog ...Comments Closed