認知症に思うこと(3)

前回のブログから間があいてしまいました。あっという間に年の瀬です。大きな本屋さんに行きたくなって東京駅の丸善へ。調べ物をしたり、来年の手帳をやっとこ買ったり、眺めのいいカフェで本を読んだり。2〜3時間うろうろして夕方、母がデイサービスから帰ってくる前に帰宅。

母について、葛藤やら感情やら渦巻いてしまって思うように書き進められなくて、とりとめもないですがすみません。人間誰しも社会生活ではいろんな面を持っていて、母ももちろんオモテウラからタテヨコナナメまで本当に上手に使い分けてきた。見事なものでした。でも彼女の人生において、心からやりたかったことって何だったんだろう?と時折考えてしまうのです。

ところで・・・認知症の度合いを計るテストがあります。かかりつけのクリニックで2ヶ月に一回受けていますが最近は点数がめっさ悪い。実際、衰えてるのは確かだけれど、母はテストというものがそもそも苦手な性格だったみたいで。すごく昔の話だけれど2,30代の頃?運転免許の路上試験を7回目でやっと合格、しかも最後の回は精神安定剤を飲んで臨んだとか(!)。

臨床心理士さんによる面談形式で「いまの季節は?」のようないくつかの質問に「え〜と、なんだっけ〜あははは・・」と和ませキャラ全開で応える母。当然、結果は最低ラインで、脳神経外科の先生にこれは大変!とばかりに「薬の量を上げなくては」と焦られる。今年の夏くらいまでやや強めの貼り薬を使っていましたが、母の様子がちょっとおかしいなと思ってある時止めました。しばらくしたら鬱々とした感じがなくなり、デイサービスの職員さんも「木下さん、明るくなりましたよね」と変化に気づいてくださった。「この調子だったら使わなくてもいいんじゃないですか?」と。認知機能を正常化させる薬と言っても、老化という自然現象を左右させるのは、人それぞれに合う合わない等あると思います。そしていつも疑問に思うのは、ひとときの数字だけでジャッジするお医者さんと、日々の様子を見て人として接してくれる介護職員さんの、待遇の差・・・。

11月に行われたれいわ新選組の街宣で山本太郎さんが憲法の話の中で、13条(幸福追求権)や25条(生存権)に照らし合わせて
「介護は家族でするべきだという考え方自体がアウトで、行政の手がしっかりと差し伸べられることによって、本人や家族のそれぞれの人生が尊重されるべき」
と語っていました。だからこそ、介護や保育でも職員の給与を上げたりしてそこに人が集まるように国がしなければならないのに今は違う。まるで憲法が守られていない、と。・・・はっとさせられる。他のニュースで、ドイツでは介護をする家族・友人にまで手当が出るとか。考えてみれば当たり前ですよね。この国では政治が機能していないことをもっと自覚しなくては、とも思う。

母がずっと元気で楽しくいてくれたら、と今年一年がんばりました。来年は音楽の表現がもっと出来るようにしたい。みなさんも健康でいてください。どうぞよいお年を。

写真は、今年から相方さんが始めた畑仕事の手伝いの帰り道、偶然見つけた個人経営のフラワーガーデンにて。

 


2021-12-31 | Posted in ... Blog ...Comments Closed