認知症に思うこと(2)

近所の喫茶店のお庭に入り浸る野良猫ちゃんです。お仲間があと3匹ほどいらっしゃいます。お茶をしに来るお客さんとは、程よくディスタンスを取るのに長けています。

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認知症の兆候が見られたら、介護保険を申請します。その前に、医療機関に相談したりします。「認知症外来」という窓口があります。多くは、精神科か脳神経外科のお医者さんが設けています。この精神科か脳神経外科かのちがいで最近翻弄されたのですがそのことはまた追々書きます。

お医者さんでは診察の際、本人(私の母)と付添(私)とで先生と面談します。その時に、どうして認知症だと思うのか?どんなことがあったのか?を訊かれます。介護保険の申請の時も、調査員という方が自宅に来て、状況を訊ねます。付添もしくは申請者である私が、母について、こんなことをした、あんなことがあった、こんなことが出来なくなった、という詳細を伝えていくのですが、なぜか本人の横で言わなければならないのがいつもおかしいなと思うのです。母はまだ会話の内容まで理解できなくなるほどボケてはいないので、「プラスチックの器をガスコンロにかけました」とか「箸と鉛筆と楊枝の区別がつかなくなってます」とか「よく自転車で行っていたお友達の家から帰れなくなってしまいました」等々できるだけ多くの例を求められるのですが、それを次々と聞かされては「え〜っ」と驚くばかり。人によっては「そんなことやっていない!」と怒ったりするのないでしょうか(たぶん私の祖父だったら)。さらに訊ねる側が「そうなんですか?」と本人に確認をする。覚えていないながらも「あっはは〜」「やっちゃった」と笑ってその場の空気を和ませるのがやっぱり母だなあと思うのですが、帰宅してしばらくすると理由はよく分からないのに(面談の内容は覚えていない)落ち込んで涙ぐんでいる。私が話したことのショックが残っているのでしょう。それがいつも本当にかわいそうだし、本人への精神的(脳にも?)ダメージも大きいのではと思うのです。

日々の認知症的症状や行動をひとつひとつ気に留めておくのは私も苦手なので、それらのことはできるだけ紙面にまとめて、調査員さんなどに渡して報告することにしました。そうしたらわりと話が早くなりました。紙に書いてしまえば自分の心から水に流せる気がしてすっきりもするのです。近いうちに精神科の受診もあるのでこの「まとめ」を持っていってみようと思います。

今の母にとっていちばん辛いのは「役立たず」「足手まとい」になることのようなのです。だから必死に、今何かできることを、手伝えることを聞いてきます。母にはのんびりと、好きなことをやって、楽しく過ごしていてもらえたら。それだけで、こちらもほっとするのです。母は絵や、歌が好きでした(じつはNHKのど自慢出場経験者!)。それらの道具をわたしておくのですが、しばらくして様子を見ると、必死に、頑張って、肩に力が入っている母がいて・・・。
つづきはまた。

 


2021-08-12 | Posted in ... Blog ...Comments Closed