認知症に思うこと(1)

お元気ですか?コロナの感染は収まらず各地で拡大そして再度の緊急事態宣言、そんな中でも東京オリンピックが開かれております。会いたい人にも気軽に会えなかったり、さまざまな自粛を迫られたりという状態が1年以上続いているというのに。こんな矛盾に慣れないように、おかしいと思う感覚がマヒしないように自分をどこまで保っていられるのだろう、とふと思うときがあります。

近況を記しておきたいと思います。私の今の生活で大きな部分を占めているのが認知症の母の介護です。以前は父が母と一緒にいてくれて食事のことなどある程度分担できていたのですが、2019年10月に父が他界してからは私が全部面倒を見ることになりました。もちろん私の相方さんとデイサービスの助けを借りながら、です。でもこの状態がもう1年半以上、しかもコロナ禍という状況で続くと「いや〜、けっこう、大変だなあ」とため息のひとつふたつもつきたくなるのが正直なところです。

まあでも、認知症がどういうものかは、10代の頃から分かっていました。というのも、私の祖父(母の父)が定年退職後の60歳台前半でアルツハイマーを発症、最後は寝たきりになって69歳で亡くなるまでを見てきたからです。母は祖父の痴呆(当時はこう言っていました)がきっかけで介護福祉士の資格をとり、老人ホームなどで介護の仕事をしていました。その後、最終的に母は自宅でカフェを開くのですが、小さな店なのにトイレが身障者用だったのは(多くのお客さんが驚いていた)こういった経緯があったからなのです。

母は以前からよく「私もおじいちゃんみたいにボケるから」と口癖のように言っていました。周囲を明るく楽しませようと頑張ってきた人なのでわざとボケたりボケキャラを作ったりの一貫でそういうことを言っているのだろうと思っていました。「忘れちゃったぁ」とおどけたり、私の名前を母の妹や弟と間違えて呼んだりするのも習慣でしたが今はしなくなりました(ちゃんと「ときわさん」と言ってくれています。蛇足ですが祖母が子供達を「さん」付けて呼んでいたので母もそれを自然と受け継いでいます)。ある時母の友人から「お母さんちょっとおかしいかも、診てもらったら?」と連絡をもらい、当時は母と離れて暮らしていてそれでも月に一度は実家に行っていたのですが、わざとボケているのか本当に忘れているのか、どちらかを行き来している感じが見て取れるようになりました。

・・・ここまで書いてみましたが、一度にはさすがにまとまりそうもないですね。認知症雑感ということで、あまり楽しい話題ではないかもしれませんが、ひょっとしたら同じく介護をなさっているどなたかの参考にもなるかもしれないので、つづきをゆるりと綴っていきたいと思います。

写真は近所のひまわり畑です。ひまわりは元気をもらえるね!


2021-08-01 | Posted in ... Blog ...Comments Closed