日系の方々との思い出


昨日6月18日は
日系移民100周年の日でした。
ブラジル行われた記念式典の様子が
ニュースで流れていましたね。
今から100年前のこの日に、
初の日本人移住者を乗せた船
「笠戸丸」が
ブラジルのサントス港に
到着したのだそうです。

ブラジルに移住した日本人は
勤勉、実直で、
ブラジルでは「日本人」といえば
信頼できる人々、との認識が高いのです。
これは、日本人としてありがたく思いつつ、
大事にしなくてはならないことだと思います。

* * *

私は、もう10年以上前のことですが、
ブラジルはサンパウロからバスで14時間の、
パラナ州の田舎町に一ヶ月くらい
滞在していたことがありました。

パラナ州は日系人が多い場所で、
私もその時たくさんの日系の方々に、
数々お世話になったのです。
この機会に、少し紹介しようと思います。


最初に、とても印象的だったのは
日系のお母さんたちが
納豆や豆腐、味噌など
日本の食材を手作りして
故郷の味を忘れないよう
大切にしていたことです。
私たち日本人、とくに都会っ子は
スーパーで買うのが当たり前だったから、
家で作れるものなんだ!と
本当に、びっくりしてしまいました。
日本にいるより、
日本らしいのかもしれない、と
思いました。
風呂釜を手作りしているお宅もあって、
7月と寒い時期に滞在していたものだったから
「たまには湯船につかりなさいよ」と
お風呂を貸してくれたこともありました。
靴を脱ぐ生活の方がどうしても
心地よくて、自ら日本式の家屋を建てた
ご夫婦もいました。


そして、比較的裕福な家庭の中には
カラオケセットを
日本から取り寄せているお宅もありました。
週末になると、
近所の何家族かで集まって
食事も持ち寄って
カラオケパーティーになります。
親たちは演歌を歌って故郷や
日本にいる家族を思い出し、
息子、娘たちは意味が分からないながらも
ニューミュージックや歌謡曲を歌って
楽しんでいました。
私も「ラブ・イズ・オーヴァー」とか
「百万本のバラ」などを歌って、
喜んでもらえたのが、
とてもうれしかったのです。
(レーザーディスクだったので
レパートリーは決して豊富では
ありませんでしたが。)
時には日系ではない方も一緒に、
皆で和気藹々、ゆったりと
休日を楽しんでいるのが
とても心地よく目に映りました。


そしてある時、
カラオケの「紅白歌合戦」が
車で2時間くらい離れた町で
開かれるというので、
私も連れて行ってもらい、
「百万本のバラ」で参戦しました!
ほんとうに、ブラジル内陸部の、
「ド」がつくほどの田舎町だったのですが、
日系人を中心に遠くから近くから
老若男女何百人も集まって、
体育館のようなところで
「紅白歌合戦」が開かれているというのは
面白い光景でした。忘れられません。
その時の、自分の名前と曲目が書かれた
パンフレットは、大事に大事に、
とってあります。

他にも、農場や、
町自慢の精肉工場(屠殺場、ですね・・)を
見学させてくれたり、
イグアスの滝や、
ドイツ系移民の町の
牛祭りに連れて行ってくれたり、
日系人のおじさんおばさんに
これでもか、というくらい
楽しませてもらったのを、
ふつふつと湧き出る泉のように、
思い出します・・・


究極は、そろそろ日本に帰るという時。
出発の日に、サンパウロで
ジョアン・ジルベルトのコンサートが
あることを知って、「ええーっ、見たい!!でも、
飛行機が・・・!」と悩んでいたところ、
日本人会のおじさんたちが奔走してくれて、結局、
Fixの格安航空券を一週間延長することができたのです。
(どうやったかは、
航空関係者の方に怒られそうなので、、
ここには書かないですが。。)


世話好きで人懐っこく、
正義感が強くて頼りになる。

日本人の良いところを、日系の方々から
改めて、気づかせてもらったように思います。
私も、人を喜ばせてあげられる
人間になりたい、と
遠くの空を眺めながら、
この記念日に、思いました。


* * *

明日から、ライブが続きますので、
どうぞみなさま、おこしくださいね!
21日(土)の谷中ボッサは、
ご予約満席になったそうです。
ありがとうございます。

20日は西荻窪アパレシーダにて、Toca 4!
22日も西荻窪、コポ・ド・ヂーアで
ドイス・マパス+matsumonicaさん、ですよ〜!


2008-06-19 | Posted in ... Blog ...No Comments » 
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