■本日のお客さま 第2回 松倉淳 フォトグラファー
ときわ カメラはいつから?
松倉 カメラは大学に入る前から、星の写真を撮ったりしてた。
ときわ 星の写真?
松倉 うん、ずっとシャッターを開放して、3時間くらいやってると、こう星が流れた写真になるでしょ。あれをなぜかモノクロのフィルムで撮ってた(笑)。

3時間も開けてると、たくさん光が入るからもう夜空じゃなくなってんだ(笑)。白い線がすーっと入ってた、謎の写真を撮って、きゃっきゃと喜んでた。

ときわ (笑)
松倉 カメラは、押し入れからお父さんのカビだらけのカメラが出てきたから、「これ直したら使っていい?」って言ってカメラ屋さんに持っていって。

直って戻ってきたら、「お会計、2万7千円です」って言われて。「普通にカメラ買えるじゃん」って思ったけど、せっかくだし、お金払ったら使わないとな、と思って。

ときわ そうなんだ。
木下ときわ 松倉淳
松倉 別に大学には写真学部があるわけじゃないんだけど、なぜか暗室があったのね。誰も使ってなくて、友だちに「見よう見まねで現像を覚えたからちょっとやろうよ」って誘われて、それで全然知らないのにやり始めたんだ。

撮るものっていったら、演劇の稽古風景とかね。

ときわ じゃあ演劇とカメラと、並行してやってたの?
松倉 うん、そうだね。でもカメラについてはその頃はそこまで何も思ってなかった。
ときわ その時はカメラマンになるなんて思ってなかったんだ。
松倉 うん、もう全然。写真が何なのかもよく分かってなかったしね。
ときわ じゃあ、あくまで記録的に稽古風景を撮ってた。
松倉 そうそう、気の向くまま、目についたものをただ撮るだけ。大学の構内の写真しかなかったからね(笑)。友だちしか写ってないような。
ときわ で、そこからカメラでご飯を食べていこうっていうのは・・・。
松倉

そう思ったのはもっと後なんだよね。28歳くらいの時。

大学生になってからずっと飲食店で働いてて、演劇ばっかりで授業にも出ないから、結局3年で中退。「お父さん、辞めます」って言ったら、「そうか」っていう感じだったね。

ときわ うんうん。
松倉 その頃、このロベール・ドアノー(Robert Doisneau)っていうフランスの写真家の作品を見て「何だこれは!」って思ったの。
木下ときわ 松倉淳
ときわ いつ頃の人なんですか。
松倉 もうすごい古い人だよ。第二次世界大戦の記録写真も撮っていた人だから。
ときわ これも、1934年。
松倉 この人の写真をどこかで見て、「これは写真なのか?」「これが写真なのか!」って思ったのね。それまで他の人が撮った写真を見たことがなかったから。写真展なんて行ったこともなかった。

で、ロベール・ドアノーをどこかに行って見たんだと思うんだよね。それからですよ、「こういうものを撮れるようになりたい」って思ったのは。自分が撮ってるのは写真とはいえないなっていう気がしたんだよね。
ときわ これを見て。
松倉 うん。で、それからカメラを持って、東京中を歩き回るわけですよ。ろくに働きもせず。暇があれば散歩して。
ときわ 風景や場面を探しに。

たしかにロベール・ドアノーの作品は写真らしくないというか、断片っていうのかな?
松倉 うん、だけどね、これ、写真の中に「前後」があるんだよね。ムービーなの。
ときわ そうそう、映像のワンシーンっていう感じだね。
松倉

物語があって、ちゃんと人生が写ってる感じがする。それはすごいことだなって思った。僕が23、4歳くらいのときこの写真に出会ったんだよね。

もうそこからは、フィルムを月10本使うっていうノルマを自分に課して。

ときわ それってすごく多いんだ。撮りまくった?
松倉 もう、撮りまくった。

写真の学校に行かないとだめなのかな、って思ったこともあったけど、学校に行くお金があったらそれをフィルム代にしてしまえ、と。どうせ学校に行ったってフィルム代はかかるわけだし。

マネでもいいからいろいろ撮ってみようと思って。そこから始まったんだよね。
ときわ じゃあもうほんと、自分一人で修行してたんだ。
松倉 うん。いろんな写真を見に行ったり、写真だけじゃなく、絵とかいろいろなものを見たね。そこからかな、美術とか芸術にすごーく興味が出て来たのは。
ときわ ふんふん、そうだったんだ。その修業時代を経て、カメラマンとして本格的にお仕事するようになったのは28歳から?
松倉 うん。ずっと飲食店の店員をやりながら、休みの日は写真撮るっていう生活をしてたんだけど、「これからどうしようかな」って、ふっと思ったときがあって。

で、30歳前だし、もうギリギリかもしれないけど、写真の仕事をやってみてもいいんじゃないかと思って。やらないと後悔しそうだったから。「どうせダメモトなんだから、いいじゃん、やってみよう」と。

それで、商業写真を撮るスタジオとかまわってみたけど、案の定どこも雇ってくれず。
ときわ 自分の作品とか持ってまわるの?
松倉 そうそう。誰も相手にしてくれなかったけどね(笑)。あるところで言われたのは、徒弟制度の名残の強い世界だから、「今の歳で入ったら先輩が21〜2歳だけど、それでも大丈夫?」って。

それは全然大丈夫だったんだけど、写真学校に行ってないことを理由に断られたり。まあ体よく断られたってことなんだけどね。でも今思うと、学校なんて行かなくてよかったなって思う。
ときわ それは・・・
松倉 決まりきったことを教わって、「これをやれば仕事になるんだ」と思って就職しても、きっとものすごい壁にぶち当たるんだろうなって思う。

教わったものって、もうありきたりなんだよね。あと、そういうところで教えてる人って、売れてない人が多いじゃん。
ときわ うん、そうなんだよね。じつは音楽も美術もそこは同じで。
松倉 そういうさ、自分が求められる位置にいない人に教わったって・・・。

だったら現場に入って見てた方がよっぽどいいわけじゃない。見るだけで勉強になるから。
ときわ そうだよね、教わらないと出来ない人もいれば、門前の小僧じゃないけど、見て聞いて自分のものにしていくっていう、そのやり方のほうが確実というか・・・。
松倉 お金もらって勉強できるんだから。だったら給料少なくてもいいから現場のほうがいいなと思って。

でもどこにも入れなかったのね(笑)。それで当時、まだデジタルが出はじめの頃に、デジタルカメラで撮影するスタジオが六本木にあって。

求人を見て行ってみたら、「とにかく撮りたいんでしょ?」って言われて、「はい!」って言ったら採用になった。

そこが今働いてるところ。
ときわ そうなんだ、へぇ〜。
松倉 まだ4年くらい前の話だけど、その頃のデジタルって、まだ全然注目されてなかったんだよね。
ときわ やっぱりフィルム。
松倉 うん、フィルム全盛だったしね。

仕事はだいたいネガじゃなくて、ポジを使ってたし。だんだん、ネガで撮って、プリントしたものを納品するっていう形がようやく出来てきた頃だったかな。

まだ全然、デジタルなんてデの字もなかったぐらい。商業用で使えるのはコダックのデジカメしかなかったから。

使ったことないようなものをいきなり使って撮ることになったんだよね。
  (つづく)