音楽と「祈り」

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窓の外に桜並木と、その向こうに田園風景が広がる、眺めのいい珈琲店。ほっとできる場所をみつけました。桜は、今か今かと「その時」をしずかに見極めているようです。

いよいよ4月だというのに、ストーブで焼き芋を焼いてます。さっき直売所で買ってきた、紫芋。甘すぎないから、紫芋の焼き芋、好きなんですよね。

この間、立ち読みした本に、「祈りの効用」について書かれているものがありました。人のため、さらにもっと大きく、世界の平和のために祈ることは、脳内に「オキシトシン」というホルモンを出し、それは結局自分の「幸せホルモン」「癒しのホルモン」につながり、結果として自らの免疫力を上げる、と。さらに祈りの遠隔操作はあるのか?の実験を(アメリカの病院で?だったかな)したところ、それは「ある」と科学的に証明できたのだそうです。

どうしてこんなことを書いたのかというと、音楽は「祈り」だとしばしば思うことがあって。誰かのために、何かのために、祈るのはとても美しいこと。今置かれている状況を見据えていること。受け入れていること。そして、その先にある風景を描けるということ。音楽は現実を忘れるためのものではないと、思っているのです。日々の歩みに、寄り添ってくれるもの。辛さも、悲しさも、喜びも、刻々と変わりつづける人の想いを、そっと支えてくれる、音楽は、衣食住のような存在だと思うのです。それが、「祈り」であって、生命力につながっていくのだろうな、って。祈りが通じたらありがたいし、すぐに通じなくてもかわまないのです。

と・・・春の雨音を聞きながら。

 


2017-04-01 | Posted in ... Blog ...Comments Closed