2015-08

戦争体験者の話を聞く その2

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「ピースあいち」に次に行ったのは、戦艦大和の乗組員だった方、
そしてニューギニア戦線から帰還した方お二人のお話の予定
だったのですが、それぞれ90歳を超え、体調を考慮して来られず、
代わりにこのお二方と同郷でありずっと体験談を聞き書きしてこられた
作家の三友隆司さんが来て、語ってくださいました。

三友さんたちは愛知県の設楽町など奥三河といわれる土地の出身で、
この地方では昔から「マンサク」は役に立たない木とされ、
人への比喩にも使ったりするそうです。戦後、息子二人を戦場で
失ったあるお母さんが、二人分の遺族年金をもらっていることを
村の人に触れられ、「どんなマンサクでもいいから生きててほしかった」
と泣きつづけていたそうです。

兵士の90%が飢えと病気で亡くなったニューギニア戦線。
熱帯の森に潜伏中、食べ物も底をつき、空腹の中を彷徨っていたところ、
木の上に鳥の巣があるのを見つけた。その卵でも取って食べよう…としたら、
同行していた原住民の酋長に激しく止められた。酋長が言うにはその木は
すでに誰かが目印に枝を折ってあるので、他人のものだから奪っては
いけない、ニューギニアでは盗み、殺人、姦淫は決してしないのだ、と。
それを聞いて、文明とは一体何なのだろうか。文明人同士が憎み合い
奪い合い殺し合う一方で、昔ながらに自然とともに生きてきた
ニューギニアの人達の方がよほど人間としてのモラルを守っている、と
その元帰還兵の方はハッとしたのだそうです。

戦争を直接知らない世代の私たちが、日本は過去の戦争をめぐって
何をしてきたのか、日本人に何があったのかを知り、戦争体験者の
記憶と向き合っていくことが、穏やかな暮らしを守ることにつながると
思っています。戦争は絶対にやってはいけないという出発点をしっかり
しておかないと、おかしな未来になってしまう。戦争によってこれまで
どれほどの家族や友人がバラバラに分断されてきたのでしょう。
長い長い年月の中で育まれてきた美しい文化やかけがえのない風習も
どれほど失われてきたのでしょうか。それも一瞬にして。
武力や抑止力で国民のくらしや命を守るなんて、おかしいでしょう。
安倍政権の言う集団的自衛権も戦争法案も絶対反対です。

 

 

2015-08-25 | Posted in ... Blog ...Comments Closed 

 

戦争体験者の話を聞く会

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8月も半ばをすぎ、夕方になると暑さもさすがにやわらいでくれる
ようになって、ほっとします。うちのわりと近所に「ピースあいち」
という戦争と平和の資料館があって、今月は2週にわたって
戦争体験者のお話を聞く会があるというのでそのうちの2回、
行くことができました。最初に聞いたお話の主は
シベリア抑留からの帰還兵だった河村さんという方、91歳。

お年からは考えられないほどのエネルギッシュなお声と語り口で
会場いっぱいの子供から大人まで、じっと聞き入っていました。

シベリア抑留の話は、辺見じゅんさんの「収容所(ラーゲリ)から来た遺書」
や赤塚不二夫さんの自伝「これでいいのだ」(どちらも名著!!)で
読んだことはあったものの、実際に行かれた方のお話を直接聞けるのは
めったにない貴重な機会だと思いました。

高さ30メートルもの松の木を片刃ののこぎりで切り倒す、
これを1日3本というノルマを課せられる。しかし雀の涙のような
食事で体力は衰えるばかり、11月になればマイナス20度。
飢えと極寒でとてもノルマは達成できず、次々と倒れていく仲間。
過酷な話を淡々と、しっかりと語られる河村さん。黒パン一切れも
奪い合うような経験をしたので、大食い競争などを見ると
腹が立つやら情けないやら…とおっしゃっていました。
食べ物だけは大事に。ただで今の平和があるわけじゃない、と。
300万人以上の犠牲のおかげでこの平和があるのを
忘れてはいけない、との言葉が静かにひびきました。

さらに河村さんから強く感じたのは、シベリアの地に今もなお眠る
戦友への思いでした。飢えや病気・事故で亡くなり、お墓とも
言えないような場所に埋められたまま、日本に戻って来られない
仲間たちの御霊に対して申し訳ない、早く帰してやりたい、と。

大戦を経験した方たちの心の傷は、70年を経ても癒えることなく
なお深く残っています。それを私も知らないままだったのだなあと、
思ったのです。

 

 

2015-08-17 | Posted in ... Blog ...Comments Closed 

 

九州演奏旅でした

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この眺め…7月の九州での演奏旅でお世話になった、
唐津市七山にある本藤さん宅の2階のベッドからの早朝の眺めです。
昔からあったミカン蔵を自らの手で一つ一つ改装して、
それはそれはかわいいお家が出来ていました。

2階はお仕事室でもあるのですが、屋根裏風に作られていて
なんとなく「ハイジの部屋」を思い出してしまう。夜になると、
星明かりが差し込んでくる、あの、わくわくするハイジの窓。
そんな感じです。そして目覚めれば、寝っ転がりながら
こんな風景が広がっているのですから本当に素敵です。

九州では3ヶ所で歌い、ラジオでしゃべったり、
子供たち向けのワークショップもありました。たくさんの方に
演奏を喜んでいただき、とてもありがたく思っています。

佐賀〜福岡に広がる海も、山も、さりげない風景がどこをとっても
のどかで美しくて、人がコツコツと暮らしている息吹も感じられて、
移動中もずっと、遠くを眺めているのが楽しかったです。
朝は海から風が吹き、夜は山から風が降りてくる。
ふと、ああ今、つい画面を凝視してしまう日常から離れているんだ
なあと気づく。遠くを見つめられる時間、我が道を歩む人たち、
海の幸山の幸…。すてきなモノ・コトにたくさん出会いました。
ゆっくり、また綴りたいなと思います。今回とてもお世話になり
いい時間をくださった、PAエンジニアさんなのに美術にも造詣が深く
油絵を描き家まで手づくりをし移住先の村おこしの重要人物となり
愛猫2匹と暮らしている(ほんとうはまだまだありますが)本藤さんに、
何とお礼を申したらよいのやら…!

 

 

2015-08-05 | Posted in ... Blog ...Comments Closed